夏風邪について
月曜夜から違和感があり、火曜日は猛烈に体調が悪かったので、大事をとって今日は一日休みを申請した。
人間不思議なもので、始業時刻を過ぎると段々と楽になってくる。
精神的な部分に起因しているのだろうか。
この調子なら仕事できたなー、と横たわりながら考える。
だがこれは結果論だ。
出社したらしたで悪化していたのかもしれないのだから。
微熱、頭痛、喉の痛みの症状があったため、コロナ感染を疑った。
最近感染者が増えているようだが、会社内ではまだ蔓延していない。
コミュニティの中で第一号になることだけは避けねばならない。
悪くない、しょうがないとは思うのだが、どうしても白い目で見られてしまうだろう。
結果的には陰性だった。
タチの悪い夏風邪にかかったようで、たくさん薬を処方してされた。
体調不良の時は、ヨーグルト、ゼリー、プリンなどデザートを食しても許される気がする。
別に普段禁じられてるわけではないのだが、幼少期の頃から、発熱すると甘いものを食べさせてくれた経験が今に通じているのだろう。
体調不良になる楽しみ、というわけではないけど、一種の特別感が生まれている。
ナポリタンについて
週末にナポリタンを作った。
食べたくなったから、などといった能動的な理由ではなく、友人に勧められたから、という受動的な動機だ。
だが決して受け身なナポリタンではない。
いざ作ろうと!となると居ても立っても居られなくなり、ご機嫌で調理に取り掛かった。
攻めに転じたナポリタンだ。
材料にも調理方法にもこだわりはなく、普遍的な、オーソドックスなナポリタンだ。
麺を茹でる際、レンジでいいんじゃないか?と不精者の私が顔を出したがなんとか押し込んだ。
麺を茹でるところも含めてパスタだろう、せっかく作るのだからこの工程も楽しもうと。
だが我が家にある二口コンロは、片方が調味料に占拠されてしまっている。
過去の不精者の私が、片付けを怠った結果だ。
こんなところで怠慢のツケを払うことになると思わなかった。
なくなくケチャップで炒めた具材入りフライパンを避難させ、代わりに鍋を火にかける。
茹で時間9分、かなり長い。
一番安いから、という理由でカゴに入れてしまい、その他の情報には目もくれていなかった。
パスタにおける価格は、こういったとこにも響いてくるのだろうか、コストアップと引き換えに時間短縮効果が得られるのだろうか。
そんなこんなを経て出来上がったナポリタン、普通に美味しかった。
持論だが、ナポリタンは美味しすぎても不味すぎてもいけない、普通が丁度いいと思う。
ナポリタンに特別性は求めていない、専門家、愛好家の方に聞かれたら烈火の如く怒られそうだが。
食べ終わって皿とフライパンから赤色を落とす、ここまでが一連の流れなのだが、これが地味にめんどくさい。
スポンジへの色移りを避けるため、キッチンペーパーで乾拭きしないといけない。
他料理と比べて一つ工程が増えている。
ナポリタンを食べた代償だ。
だが面倒くさがっていても何も変わらない、私が行動しなければ皿とフライパンは色鮮やかなままなのだ。
料理中ふと思ったのだが、どうしてケチャップの容器はベタベタせず綺麗なままなのだろう。
マヨネーズは必ずといっていいほどベタベタになり、触るのも嫌になるというのに。
徳について
近年世の中には、ポイントカードだったりNISAだったり、実行することで家計の助けになる制度が充実している。
やらないよりやった方が得になる、当たり前のことだ。
だが頭では理解していても、徳になる全ての行動を実施することは難しい。
徳だから、といってほしくもない物を買ってしまっては本末転倒だ。
やらない自由もあったっていい。
毎度毎度ポイントカードを提示するのは面倒だし、どうなるかもわならない老後のために積立するのも億劫だ。
我々には得しないという選択肢もある。
目先の得に屈してはいけないのだ。
天下一品について
土曜日の昼、天下一品に行った。
休日出勤のご褒美に、上司がご馳走してくれた。
休日出勤は嫌だけど、給料は割増で貰えて、休みは特にやることがなくて、必要とされて自己肯定感が上がるから良いような、そう思うこと自体が悲しいような、複雑な気持ちになってしまう。
午前の数時間で終わる予定が、色々あり正午を回っても手を動かしていた。
みかねて上司が労ってくれたのだ。
会社近隣にある天下一品は、日本で一番まずいと噂されているらしい。
チェーン店なのにそんなことあるのか、味は統一されてるだろう、と思うのだが、この証言は複数寄せられているため、あながち嘘でもないのかもしれないと思わされる。
後になって調べてみると、インターネット上でも評価はあまり好ましくなかった。
完全に共通認識となっているようだ。
私はというと天下一品は数年前に2回ほど食べた以来なので、他と比較することなく大変美味しく頂けた。
食後有識者に詳しく話を聞いてみると、近隣の別店舗はべらぼうに美味いらしく、相対的に評価が下がっているかもしれない、とのことだった。
何事も上には上があるし、下には下がある。
外的要因に左右されず、絶対的に評価を下していきたいものだ。
近隣には日本で一番美味いと言われているかっぱ寿司もあるため、次はこちらを調査してみよう。
病院について
数年ぶりに大きな病院に行った。
個人経営の町病院にかかる機会はちょびちょびあったが、市営の大きな病院は久しぶりだ。
平日の昼間、患者は少なく待合椅子は空席の方が多い。
未就学児の親子連れが大半だ。
閑静な院内なので子供が喋る声、遊ぶ声がよく聞こえる。
はっきりと覚えていないが、記憶の片隅にある、数年前に通り過ぎた幼い自分と親の姿を重ねてみて、ノスタルジックな感情に浸っていた。
用事は予防接種、注射を5発も打たれてしまった。
注射は嫌いというほどでもないが、苦手な方に分類される。
針が刺さって身体の中に入ってくる感覚、先端はどの辺に達しているのだろう、と嫌でも想像させられて気分が滅入る。
誰だって好んで体内に異物を入れたくはないだろう。
接種履歴を確認するために母子手帳が必要であり、母親に郵送してもらった。
何気なくぱらぱらとめくってみると、近年目にしていなかった母親の直筆、幼き自分に関するたくさんの情報が飛び込んでくる。
こんな私でも愛情を注いでくれる人がいると思うと、前向きな気持ちになれる。
親孝行するぞ。
トラウマについて
ザ・バニシングという映画に、リネカの法則たるものが出てくる。
忘れるのに必要な時間は、一緒にいた時間の半分。
だとすると私の場合は、理論上2週間ほどで元恋人を忘れることができたはずだ。
失恋から半年以上経った。
元恋人のことを思う時間は少なくなった。
だが完全に未練が無くなったわけではない。
ふとした瞬間、形容し難い感情に襲われる。
手足は重くなり、思考は濁り、一切の活動を放棄したくなる。
いつになればこの感情から解放され、バイタリティ溢れる生活を送れるのだろう。
相手のことを恨み、憎むことができたら、未練も断ち切れるのだろう。
だがあの一ヶ月は私の人生の中で最も充実した、幸せな時間だった。
結果的に傷つき、トラウマを負うことになったとしても、あの時間を否定することはできない。
半年で二回、同じシチュエーションで振られると心にくる。
人間関係なんて相性の問題、もっと波長の合う人がきっといる、という考えもわかる。
頭ではわかっているのだが、心はそうはいかない、理屈では納得できない。
もう二度とこんな感情は味わいたくないし、傷つきたくない、そう思うと何も行動できなくなる。
自分から動かないと、行動しないと何も始まらないのに。
トラウマはどうやったら克服できるのだろう。
日にち薬なのか、無理にでも行動するべきか、何らかの投薬を実施するべきか。
克服できずに、一生共に生きていかないといけないのか。
踏み出す勇気が欲しい。
仕事について
連休明けの労働はしんどい。
徐々に慣らしていかないと、仕事モードに切り替えていかないといけない。
有給を交えて3連勤くらいからで許して欲しいものだ。
そんな思いも実らず、今年のGW明けは激務激務だった。
所謂自宅と会社の往復だ。
だが悲しきかな今は自由な時間の楽しみを見出せてない、どう余暇を過ごそうか、と模索している時期だ。
ただただ呆然と時間が過ぎるのを待っているよりは、あくせくと馬車馬のように働き回った方が良いのかもしれない。
仕事ができる方ではない、なんならできない方だが、できることを細々と、着々とこなしていると、偶には上司に褒められることもある。
こんな自分でも、無駄ではない、役に立っているように思えて少し嬉しくなるのだ。
仕事のことは好きではなかったが、嫌いでもなくなった。