長期連休はいつも、実家の方向が同じ会社の友人を車に乗せて帰省する。
私は友人を新幹線停車駅まで運ぶ、友人は私にガソリン代と称して昼飯を振舞う。
決まりごととして定められたわけではないが、いつしかそれが長期連休の慣わしとなっていた。
友人は私と違い、コミュニケーション能力に溢れている。
職場では他部署にも沢山知り合いがいて、釣りに行ったら初対面の釣り人と釣りトークを繰り広げる。
居酒屋にも臆することなく電話できる。
私はというと可能な限りネット予約で済ませようとする情けない人間だ。
凹凸がはまるように、私の不足しているコミュニケーション能力を補ってくれているのだろうか、この友人とは馬が合う。
帰省の道中は2〜3時間あるため、途中で話題が尽きて沈黙が訪れることもある。
映画パルプフィクションに、特別な人となら沈黙を楽しめる、というセリフがあった。
話題が尽きたら尽きたで友人は携帯を触ったりうとうと船を漕いだり、私はと言うと流れる音楽に鼻歌まじりに、時にはしっかり歌まじりに運転する。
人付き合いとして理想的な関係だ。
この場合歌っている人間がいるため、沈黙と呼べるかはわからないが。
さてこの度の長期連休も、例に漏れず相乗りして国道を飛ばし帰路に着いた。
昼飯にはマー油を用いたと思われる、焦がしラーメンなる物を馳走になった。
焦げてたなー、となんの捻りも無い感想を言い合いながら、さあ駅まで送り届けようか、と車に戻る道中のことだ。
先ほど食べたラーメンとは対極に位置するような、あっさり系の看板に目を惹かれて2人立ち止まった。
当然の如く連休終わりも一緒に帰るものだから、帰りはここで食べるかー、と話していた際、店から出てきた若い男女グループに声をかけられた。
ここのラーメン美味いっすよ!と。
そうなんですか、また今度行ってみます、と適当な相槌を打ち、そそくさと逃げるように話を終わらせたくなるのが私だ。
対して友人は和気藹々と交流を深め、おかげさまでおすすめのラーメン屋情報まで入手することができた。
初対面見ず知らずの人間に話しかけることができることも、話しかけられて戸惑いなく応対できることも羨ましい。
私みたいにインターネットばっかりやっている人間とは造りが違うのだろう。
この男女グループの方々、聞けば飲み会のシメとしてラーメンを啜っていたらしい。
前日の夜から飲み続け、午後3時に炭水化物で腹を満たし帰路に着く。
朝帰りならぬ昼帰り。
どこからこんな活力が湧いてくるのだろうか。
若さとはここまでの連続長期行動を可能にするものだったのか。
教えて欲しい、そのあり余るバイタリティーで令和の世を掛ける方々よ!